Vol.8 プラマイ

どうもどうも。御機嫌麗しゅう。


いやあのさ。ほんとさ。急なんですけど。書く気なかったんですけど。やっぱ書きますわ。


マジで好きでいるのやめられないんだけど。これほんとどうしたらいい?



まあキャスとか来てくださったりわたしのツイートチラチラ見てくださったりしてる方なら分かると思うんですけど、例の先輩とサシでご飯に行きましてね。散々腹割って話してきましたよ。


「ずっと好きでした」「ていうか今も好きです」「誰よりも幸せになってくれないとマジで許さないですからね」「あなたほど素敵な女性いないんですよ」とか普通に言ってたと思いますね。え?開始早々キツい?もういいじゃん。許せよ。ずっと聴いてた当の本人は許してくれてたぞ。多分ね、多分。


これずっと、読み手の皆さんからすると少し疑問だったと思うんですよ。「なんでこいつこんなこと恥ずかしげもなく話せるんだろう?」って。


その答えは物凄く単純明快で、本気で好きだからですね。


わたしがその先輩を好きでいる以上、“その先輩のことを好きでいる自分”のことも好きでいる義務があると思うんですよ。むしろそれが果たせなくなったときが恋の終わりというか。

「○○さんのことが好きです!でもこんなこと恥ずかしくて人に言えません…」って冷静に考えたら訳わかんないと思うんですよ。だからわたしは今の自分のことが好きだし、だからこんなに好き放題喋れている訳で。


あとまあ、この言葉が適切かは分かりませんが“プレミ”をしていないつもりっていうのもあるかもしれません。あ、ゲーム好きにしか分かりませんかね、“プレイミス”のことです。

自信を持って言いますけど、わたしは誠心誠意口説きましたし、今から振り返ってみても当時できる最善手をハスらずにできたと思ってます。

笑われようがなんだろうが、あのときは全力でやれることはやりましたから。少なくとも“恥ずかしい”という感覚はわたしの中にはないです。むしろこれだけガチで恋愛しておいて恥ずかしがってたら、もう一生結婚できないでしょうね。


まあそんな話はさておき。


昨年末にわたしがご飯に誘い、年明けてから改めて先方から「ご飯行こうか、いつにする?」と仰っていただいた訳なんですけど、正直、大して嬉しくなかったんですよね。

前回のブログを読んだ皆さんなら分かるかなあとは思うんですが、もう“恋愛感情”は捨てたので。なんというか、「半年ぶりに会う高校の同級生との呑み会」くらいの喜びしかありませんでした。

まあそりゃ、昔すっぽかされたことがあるので、「今回は連れてってくれるんだ、ありがたいなあ」とか「3年間好きだったし、相手にとって大切な“何かしら”ではあったのかなあ」とかそういう喜びはありましたけど。
でもなんというか、“好きな人”とご飯に行くっていう喜びはなかったですね。凄い喪失感でした。彼氏がいるって聞いたときよりショックでした。


唐突なんですが、エネルギー保存則ってご存知ですか?高校物理なんですが。
「物体が運動している間、外的要因がなければその物体に属するエネルギー量は一定である」とかそんなやつです。私文の理解なので間違っていたら申し訳ないです。

これって、人間にも当てはまると思うんですよ。

例えば、わたしに属するエネルギーの総和が100だとします。
わたしは生きていく上で、“100”という数値は一定で、これをどこに割り振るかだけが決めるようなもんだと思ってるんです。
そうですね、「バイトに30、勉強に30、Twitterに40」みたいなイメージですかね。時にはTwitterが50になったり60になったりして、その分他が減る…というような。伝わりました?

わたしにとって“好きな人”って、冗談抜きで80-90くらいは占めていたと思うんですよ。そりゃね。今までの半分くらいのブログが恋愛ネタですし。それしか考えずに数年生きてきたようなもんですから。


なんか、ご飯に誘っていただいて大して嬉しくなかったとき、「わたしの3年間もこんなもんかあ」というような。わたしの中にあったほとんどのエネルギーって、一体どこに行ってしまったんだろうかと。“空虚”でしたね。
パーティーが始まる前は凄く豪華に盛り付けられていたのに、終盤になるとみんなの食べかすしか残ってないお皿を見ているような。そんな気持ちでした。


いつだったか、「失恋」ってなんだろうって思ったんですよね。両想いならともかく、片想いって何を“失う”んだろうかって。

片想いって、振られてもその人のこと好きなままだろうし。

「付き合える/付き合えない」に重きを置く人からすると“付き合うというバラ色の未来”を失っているのかもしれませんが、わたしはそんなことはなかったので。むしろ「付き合うなんて烏滸がましい」と本気で思ってましたから。自己肯定感が低いので。


嬉しくなかった自分に気づいたとき、やっと“失恋”した気がしましたね。確実に失ってました、あのときのわたし。なんでしょう。やり場のなくなったエネルギーだけが、どすんと自分の中に残り、ぐるぐるぐるぐると自分の中を刺激して回るような。
あの頃はあんなに縮こまってた心臓が、今じゃこんなに広いのかって。それに気づいてキュッとなる心臓がまた不憫でならなくて。



もう、“好き”じゃなくなったんだなって。



そう思ってましたよ。あの頃はね。


ご飯に行って、初めてあんなに本心から喋れましたね。普段はスベらないように置きに行ったツッコミしかしないので。

そりゃあもう、恐ろしいほど楽しかったです。先方も凄く楽しそうにしてくださって。

わたしは先方にお伝えしました。「もう彼氏もいらっしゃるらしいですし、これ以上“好き”でいることはやめます。ただ、あなたのためにはなりたいから、今日1日楽しんでもらえたならまた誘っていただけませんか?次の1回だけはあなたからお願いします。こちらからは辞められる自信がないので。」と。


おデートが終わった今、思いますね。



「いや早く次の日程決めてくれよ!!!!!!」



わたしは気づいていなかった。いや、気づいてましたけど、気づいていないフリをしていました。

付き合うつもりが元からさしてなかったんだから、恋愛感情を捨てたところで何も変わらないんですよ。

店も予約するし、歩道側を歩かせるし、好きなお菓子を聞けば今度買おうと企むし、相手がナメられていればムカつくし。

やめられねえよ。この距離感。誰がどう読んだって“好き”でしょこんなん。これでいて「好きじゃないです」とか虫が良すぎるよね。

付き合いたい訳じゃないんですけどね。むしろ絶対にわたしみたいなセンスのない男のことは好きになってほしくないんですけど。


でもやっぱり、おかしいって思う自分もいて。

「本当に面白いね」「わたしに対してだけじゃなくて、周りの人にも気が利いて本当に優しいよね」「こんなに誠実にわたしのこと好きでいてくれる人いないよ」「多分今の彼氏よりわたしのこと好きだよ」「実際モテモテでしょ?」とまで言われたのにフラれてるの、マジでおかしくないですか?

ご飯終わってからやっぱりこう思ってしまう自分がいるんですよね。好きでいるのをやめたなら「次に活かそう」って思わなきゃいけないはずなのに。次なんかどうでもいいよ。2ヶ月に1回くらい飯行ってくれよあんた。毎回奢るからさ。金で釣れるなら釣られてくれよ。まあそんな軽い女だとは思ってないですけど。


相手に彼氏がいてもこんなことだらだら言って何度も何度もブログ書いてるの、本当に好きでいるのをやめるタイミングなくないですか?

本来好きでいるのをやめるのって、時の経過しかないと思うんですよ。好きだった人と疎遠になるから、新しい恋を始められるんだと思うんです。まあ、これに今更気づいたんですけど。

この前ご飯に行ったときのわたしは自分でもまあまあ面白かったですし、正直、今後たまには会ってくれるんじゃないかなと思ってます。そうすると、好きな人と定期的に会う環境が揃ってしまうんですよね。


こんなん、無理では?


本当に邪な自分が嫌いになりそうなんですが、「アレだけ褒められるならいつかわたしの魅力に気づいてくれる日が来るんじゃないか」なんてことを思ってしまうんですよね。情けない話で。
まあ実際、“誠実で面白くて優しくて気が利く男”って普通にこれ以上ないほどの優良物件だと思うんですけど。いや何がダメなのか教えてくれよマジで。顔か?顔なのか?やはり顔なのか?それはもう妥協してくれよ頼むからよ。


今後、わたしのことを好きになってくれる女性も1人くらいはいるでしょう。え?いないだろって?いいじゃんわたしのブログなんだし。これくらい希望を持たせてくれよ。

わたしはその人のことを「ごめんなさい。好きな人がいます。相手には彼氏がいるし振り向く気配も一切ないしもう告白して1年以上経ってるし相手ともお互い割り切って呑みに行くような仲だけど、イマイチ未だに踏ん切りがつかないままなので、あなたとは付き合えません。」って振るのかなって思ったら、こんなんとち狂ってません?
わたしは文系なのでこれをなんと言うか知ってます。“狂信的”って言うんですよ。ここテストに出ます。


それこそTwitterでも最近「夜景の見えるレストラン」とかなんとか言ってるじゃないですかわたし。
アレも、先方がこのブログを読んでくださってる(らしい)から成立してると思うんですよ。

わたしが1人の女性への恋心、いや恋なんてシロモノなのかは分かりませんが、その“何か”をズルズル引きずり続けて何度もブログを書くほどの異常者であることが先方に伝わってるからこそ成立してるんですよね。
先方も「こいつほんとバカだなあ」って呆れながらこのくだりに付き合ってくださってるんですよね多分。いや、ちゃんとお話したいしまたご飯を御一緒させていただきたいのは本当ですけどね。そういった気がないってだけで。マジマジ。とても誠実な男ですし美人には嘘つかないですよわたしは。DM待ってます♡(不誠実な記号)


もし先方がこのブログを知らなかったら、わたしってなかなか最低だと思うんですよ。
好きな人がいるのに冗談半分で「デートしましょうよ」って言ってるんですから。

今はまだそういうことがないからいいけど、いつかは絶対やめなきゃいけないし、できるだけ早くやめなきゃいけないんですよね。


“恋心”はないが“献身欲”がある感情のことをこの国で「好き」と呼ぶのかは定かではないですが、この“献身欲”が実際に当人に対して解消できる関係になった今、他の女のことを考えるなんて100%無理なんじゃないかってことに今更気づいてしまいました。



まあ、真実がどうであれ、今はやめる気はないんですけどね。やめられるとも思ってないですし。




先に進むか、今の幸せで立ち止まるか。

進んだ先に幸せがあるかなんて分からないままでも進める人間って、この世にどれくらいいるんでしょうか。




傍から見たら、今のわたしはなんて哀れに映ることでしょうか。それこそ「愛がなんだ」の仲原くんみたいでしょうね。
でもあれは多分、お互い好きなことを言葉にせずにいたから通用した関係性で。


わたしはもう告白をしてしまいましたから。


わたしが今後何をしようと、余程気持ち悪いことをしない限り「ほんとわたしのこと好きだよね〜」と思われて終わってしまう訳ですよね。


絶対にわたしがやめなきゃ終わらないんですよこの関係。


まだ無理だなあ。まだ無理だよこんなの。やっと、3年かけてやっと腹割って話せるようになったんだよ?もう少し楽しみたいよ。これがやりたくて3年間好きだったんだもん。


いつやめられるのかなあ。わたしが相手のことを好きでいる間、わたしのことを好きになってくれる女性もいるのかなあ。いないでほしいなあ、申し訳ないから。



早く他の素敵な女性のこと好きにならないとなあ。


今度聞いてみようかな。「あなたより素敵な女性紹介してもらえませんか?」って。今はそんな人いる訳ないんだけどさ。



むしろいないでくれ。いつまでも憧れていたいから。






目を覚ます。外はまだ暗い。


部屋の明かりも、暖房もついたままだ。


何も消さずに、もう一度目を閉じる。


ああ、眠たい。リモコンどこに置いたんだろう。