Vol.7 朝寝ぼう

どうもどうも。御機嫌麗しゅう。



お久しぶりです。というより、ブログでは新年初投稿ですね。
今更にはなりますが、あけましておめでとうございます。今年も宜しく御願いいたします。


書く内容は決めていたんですが、シンプルに忙しかったのと、イマイチまとまり切らなくてズルズルと遅くなってしまいました。楽しみにしていてくださった方には申し訳ないです。

新年初回は、ファン待望(?)の恋愛回にしようと思っています。お付き合いください。



では、早速ですが。どうせ長くなるのでね。オープニングは程々に。



突然ではあるんですが、わたしはいわゆる“恋バナ”のようなものが好きでしてね。恋愛小説ばかり読んで恋愛映画ばかり見ている訳ですよ。

一時期はサスペンスの方が好きだったり、コメディの方が好きだったりしたんですが、最近は専ら恋愛ものです。

というのも、恋愛というものは凄く奥が深い。ほとんどの方が経験したことがある。おそらくこのブログの読者の皆様は20歳前後かと存じますが、「未だに好きな人ができたことありません」と胸を張って仰る方は早々いないでしょう。いらっしゃったら申し訳ない。性も多様化している時代ですからね。決めつけはしません。

ほとんどの人が経験してきている、そしてわたしたちだけではなく、その先祖もずっと経験してきている。
わたしは信教はないので細かいことは分かりませんが、アダムとイブには恋愛感情があったでしょうし、スサノオノミコトクシナダヒメと夫婦の契りを結んだ訳です。人の数だけ恋があり、愛がある。


しかしながら、恋愛というものはいかんせん“正解”が分からない。これだけ多くの人がしてきたのに。ただ、なぜかたくさんの“不正解”はすぐに分かるんですよ。

「2人の人を同時に好きになってはいけない」「恋人がいる人を好きになってはいけない」「人の好意を弄んではいけない」というように、恋愛には様々なルールがあります。

しかし、そのルールを守っていたとしても、どこか自分が間違っているような気がしたり、友人が道を踏み間違えているような気がしたりしてしまう。
「あぁ、これでよかったのかな」「あのときこうしていれば」と、人は後悔し、自責の念に駆られる。


正解が不明確なものを漠然と追いかけ続ける。なんと滑稽なことでしょう。
それでも、人は“真実の愛”なるものを追いかけ続ける。自分の持つもの・やってきたことを“真実の愛”だと胸を張って言う人は極めて稀でしょう。仮にいたとしても、恐らくわたしのブログの読者ではないでしょう。完全に偏見ですが。



“真実の愛”とはなんなのか。わたしみたいなひねくれ陰キャオタクには皆目検討もつきませんが、皆様の胸にも問うてみていただければ幸いです。


せっかくなので、“真実の愛”というものがなぜイマイチ分からないのか、というのをわたしなりに考えてみました。


端的に言ってしまえば、「恋は盲目だから」に集約されているような気がします。
恋をしているときというのはやはり主観性が大きくなってしまう。相手しか見ていませんからね。そういった状態をあとから振り返ったときに、客観的に見て「あれは真実の愛だった」と高らかに宣言できる人がいるのか?といったところです。


かくいうわたしも、新年早々例のバイト先の先輩の夢をすでに2度も見てしまっている訳ですよね。まだ10日しか経ってませんけど?10日で2回。このペースだと1年で73回見ることになります。大変気色悪いですね。「恋は盲目」とはよく言ったものです。こんな状態で愛だのなんだの語るような大人にはなりたくなかったですよね。


あっ、「“例のバイト先の先輩”ってなに?」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。詳しくはわたしのブログの「Vol.2 Aka」を読んできていただきたいんですが、めんどくさいという方のために以下に簡単に補足を。


「バイト先の先輩に惚れて告白までしちゃったけど当たり前のようにフラれて、そのクセにまだずるずる引きずってブログとか書いてるけど、その間に先方は三重の男と遠距離恋愛に励んでましたよ!w」です。

一応お伝えしておきます。わたしの住所は東京です。その先輩も東京です。三重までは新幹線で往復約25,000円、往復約6時間かかります。名古屋で乗り換える必要があります。こちらからは以上です。


いやあ、端的に言えばしんどいですよね。
別に今更付き合ってほしいなんて思っちゃいませんけど、さすがにねえ。

わたしが未だに夢を見てしまうのに、先方は25000円払ってでも逢いたい男がいる、というのが物凄く攻撃力のある事実ですよね。



今更なんですが、そのブログに“Aka”というタイトルをつけた理由でも記しておこうと思います。せっかく触れたので。
aikoさんの同名の曲が由来になっています。


「目の前に広がる今だけの世界 ここはあなたとわたしの幸せの中だろう」

1日2人しか入らないシフトでしたからね。時間も有限でしたし。刺さりましたね。

「見透かされてる心の果ては どんな匂いがするのだろう」

告白してからもう1年以上経っています。そんな状態でもずっとお互い働き続けている。“自分に告ってきた男”は、先方からはどう映ったのでしょう。
それと、あれだけ赤裸々なブログを書いたときに、読者の皆様からどう映るのか?という意味合いも感じました。全てを見てもらった上でどうなるのか、というような。ひとつの挑戦です。


といったところですかね、主には。よかったら聴いてみてください皆さん。わたしaikoさんめちゃんこ好きなので。その人に合ったものをオススメするよう努めますし。よろしくお願いします。(宣伝)



実際、今までで1番感想をいただいた回は“Aka”だと思います。皆様本当にありがとうございます。

「報われてほしいです」「凄く胸に刺さりました」「凄く切なかったです」など、もったいないお言葉をこれでもかといただきました。心底嬉しかったですし、元気が出ました。
凹んでいたつもりはなかったんですけど、なんというか、力の源になりました。励まされた、というよりはそういった表現の方が適切な気がします。


ああやってブログにして自分の気持ちを整理して、「三重に彼氏がいる」と告げられてから、ずっと考えてたんですよね。「何がいけなかったんだろう」って。

なぜ「NONSTYLEの石田さんと結婚したい」って言ってた人がわたしと付き合ってくれないのか。177cm52kgですよわたし?どう考えたって“妥協”としては適切ですよね。
お笑いも好きだし。話も弾むし。肉じゃがだって美味しく作れるのに。LINEで「だいすき♡♡♡」って言われたこともあるんですよ?さすがに100%は真に受けちゃいませんけど。でも、バイト先の異性の後輩レベルにするようなふざけ方でもないですよねこんなの。ふざけんじゃないよほんとに。

ずっと考えていたら、ひとつ分かったことがあります。「なぜ相手はオードリーさんのラジオを聴かず、小籔さんのラジオを聞くのか」。これが答えでした。わたしに足りないものはコレでしたよ。皆さんお待たせしました。申し上げたいと思います。


わたしに足りないもの。それは。





関西弁です。





\御愛読ありがとうございました!w/
\わたあめさんの次回作に御期待ください!w/



…というね。

すいません。純度100%で悪ふざけです。

でもね、仕方ないんですよ。気づいたときからどうしてもやりたかった。これは本当に申し訳ないです。調子乗りました。


…間違えました。“調子乗ってもうたわ〜(笑)”でした。


…いやほんと、マジで。いや、ジョークじゃないっすか。わたあめジョークっすよ。関西のことバカにしてるとかじゃないです。ほんとに。三重以外は愛してます。好きな球団阪神タイガースですもん。マジマジ。今のところね。うん。本当に許してほしい。悪意はないです。三重に関しては「税率4倍にならねえかな」くらいは思ってますけど。それ以外の府県は本当にMajiでKoiする5秒前なので。勘弁してください。晒さないであげてください。お願いします。





まあ、茶番はさておき。わたしに何が足りないのかっていう話ですよ。


これをずっと考えていて、少し灯りが見えたときがあります。


この前、男友だちと呑みに行きましてね。好きな女の子の話をしたんですよ。お互い。それで日本酒をたらふく呑んだんですが。

どんなに日本酒を呑んでも彼の発言がひとつだけ引っかかりましてね。



彼が好きな女の子について語っているときに、「いい匂いがした」って言ったんですよ。



その場では「気持ちわりぃなあ」と思いました。しかし、冷静になると、それって正直普通なんですよね。そりゃ好きな女の子ですもん。いい匂いしますよ。aikoも言ってたし。


ただ、わたし、自分が好きなあの先輩の匂いが思い出せなかったんですよね。

そこから「あれ?“恋”って、“好き”ってなんだっけ?」となってしまって。


人は恋だの愛だの格好つけますが、結局広く言ってしまえば生殖行為の一環に過ぎない訳で。
つまり、寂しいことを言ってしまえば恋愛には性欲が故の感情なんてあって当たり前なんですよ。むしろない方がおかしい。

匂いを嗅ぎたい、手に触れたい、声が聴きたい、見つめていたい、どれも自然な感情な訳です。いささか気持ち悪い可能性はありますが。


わたしにはそのどれもがなかった。これは別に格好つけてるとかhsってるとかそんなつもりじゃありません。


これは本当に恥ずかしいんですが、わたしがその人を好きになったきっかけは彼女の笑顔なんです。
初めてご飯を御一緒させていただいたとき、わたしはすでに多少意識していたので凄く緊張していた訳ですが、その日に話したときにちょっとしたことで腹抱えて笑ってくれたんですよね。

それを見たときに、安心も兼ねて「ああ、これでいいんだ」と。「こんなことで笑ってくれるなら一緒にいられたら楽しいだろうな」「どちらかが辛くてもお互い笑顔になれるんじゃないかな」「ずっと笑顔で過ごしてもらえるんじゃないかな」と思ったのがきっかけなんです。


つまり、わたしは彼女に心から笑っていてほしい。別に見返りなんてどうだっていい。それだけで十分だと。むしろ、触れたりそばにいたりというのは本来凄く烏滸がましいことだと。
本心からそう思っています。今も昔も。アイドルオタクの性なのか、好きな人を“神格化”してしまうのは悪いクセですよね。今後治していきたい。


話がブレてしまいましたが、本来恋愛、いやもっと言えば“恋”というものは、多少身勝手なものでいいんだと思うんです。多少性欲に忠実なくらいでちょうどいいんですよ。相手のことだっておそらくまだろくに知らないんですから。

しかしわたしがしている“恋”なるものにはそれがない。ほとんどの欲望の主語が相手な訳です。せいぜいわたしが主語なものは「相手が幸せそうなところを眺めていたい」という程度。わたしの主体的な部分がろくに詰まっていない。だからデートなどに心が惹かれないのではないか?“相手の理想像”があっても“相手との理想像”がない。だから一緒にいるビジョンが浮かばないのではないか?と。そう考えました。

自分が“恋”だと思っていたものの漠然とした違和感みたいなものが少し紐解けたような気がしました。
しかし、いかんせんまだよく分からない。


そもそもわたしは、彼女の何が好きになったんでしょう。


前述の通り、恋というものはある程度自身の欲望が詰まったものではないかと思います。わたしの思うものにそれがない以上、これは恋と呼ぶには不適切ではないのか。

「笑顔がどう〜」なんてのは後付けです。だって元から気になっていたんですもの。
「綺麗な方だから」?「彼女が欲しかったから」?「抱けそうだから」?
いや、そんな甘いものじゃない、そんなずる賢いものじゃない、もっと根本的な、何か。



なんとなく、漠然とした記憶なんですが。

「危なっかしいなあ」と思っていた記憶がうっすらとあります。先輩相手になぜそんなことを思っていたのか分かりませんが。


…わたあめブログ耐性がついてきたそこのあなた。このあとわたしはどう進めるでしょう。


そうです、「なぜそう思っていたのか」を考えます。正解したそこのあなた、本当に凄いです。今度お会いしたときには粗品をお渡しするかもしれません。知らんけど。頑張れ、そのときのわたし。



これには先にひとつ少し補足しておきたいことがあります。

昔先輩に言われたんですが、「年上のイケメンを追いかけていたい」、「友だちだと思っていた人から好意を向けられると引いてしまう」という発言があります。年下ブサイクのわたしにはぶっ刺さりでしたね。同じ日に言われたので、中学生くらいだったら泣いてたんじゃないかってくらい辛かったです。


さて、では、なぜ先輩が危なっかしく思えていたのか。


あの人は、凄く弱い人なんだと思います。
自分の“弱さ”というものを受け入れられない。

だから、“年上のイケメン”という“上”に惹かれる。冒頭でも申し上げましたが、「恋は盲目」です。“上”を見ていれば“下”を見なくて済む。自分の弱さ、醜さ、格好悪さ。そういったものから全部目を逸らし、憧れ続けることができる。

だから、友だちだと思っていた人から好意を向けられると引いてしまう。おそらく恋愛という“弱さ”が出る部分を、極力他人に見せたくないのではないかと思います。友だち程度の人間にはそういった関係性を持ち込みたくない。それか、ある種の自己投影みたいなものをしてしまっているのかもしれない。「恋をしている人間はかくも哀れなのか」と。両方かもしれませんが、おそらくそのどちらかではあるでしょう。


なんというか、恋愛を坂に例えるなら、勢いよく手を引いて「ほら、行くよ」と先導するような方と付き合いたいと考えているのが先輩だと思います。



そして、わたしも物凄く弱い人間だと思います。

しかしながら、先輩とは逆で。わたしは自分の“強さ”を受け入れられない。

誰かの上にいると烏滸がましいと思ってしまう。特にそれが好きな人であれば尚更。絶対に好きな人にはわたしより輝いていてほしい。そう思ってしまう。

なんというか、わたしは好きな人の背中を後ろから押しながら、2人でゆっくりと坂を上るような恋愛がしたい。



おそらく、先輩のような恋愛観では不幸になることもあるでしょう。手を離したらすぐに落ちてしまう。
しかしながら、幸せになることもある。手を引いて、坂を駆け上がり、そこから見る景色を慈しむ。そういった楽しみ方がある。

対してわたしのような恋愛観では、相手を不幸にすることは比較的少ないのかな、と思います。後ろから落ちないようにゆっくりと支えているから。
ただ、それと同時に、相手を幸せにすることもないんですよね。先陣切って走ることがない。ゆったりとただ歩くだけ。退屈とでも言いましょうか。



いろいろな人に惹かれ、がむしゃらに、そして無邪気に坂を上がろうとする楽しそうなあなたが、おそらくわたしは下から見ていてとても放ってはおけなかった。そっとあなたの背を押していたかった。そして、何よりも愛おしかった。今ではそう想います。



今のわたしには、あなたの手を引くことはできません。
それにはいささか力不足が過ぎるから。あなたの前を歩んでいくには荷が重いから。

そして、今のわたしはあなたの背を押し続けることも、もうできません。
あなたの笑顔がわたしに向くことはないと気づいてしまったから。あなたには輝いていてほしいから。








わたしね、先輩のことを好きでいるの、やめようと思うんです。



このままわたしがずっと好きでいて、万が一にも振り向いてしまったら、それは先輩の笑顔にならないから。

わたしが下で彼女の背を支えるには、「恋愛感情」なんて甘えは捨てるしかないから。邪魔でしかないから。



彼女の“弱さ”を受け入れるには、わたしは“強く”なければいけない。

こんなこと先方は知らないし、この決意がなんの意味も持たないかもしれない。

でも、これがわずかな光になるなら。わたしはそれを掴みたい。そして、彼女を照らす小さな強い灯火でありたい。





ずっと、本当にずっと考えました。でも、やっぱりこれがわたしなりの答えだと思います。

不思議と辛くもないんです。むしろ清々しいくらいで。
ようやく、手を伸ばすべきところを見つけたような気がしています。






「報われてほしい」「応援しています」と、そういった感想をいただけたこと、本当に嬉しかったです。2回目という段階であれだけの想いをぶちまけて、たくさんの方に受け入れていただけて本当に有難かったです。それだけで報われたような気がしました。改めて、感謝申し上げます。


それなのに、そんなに有難い言葉をたくさんの方からいただいたのに、その全てを裏切るような形になってしまって本当に申し訳ないです。我ながら、凄く情けないと感じています。言葉を扱うこういった場で、皆さんからのたくさんの想いの詰まった言葉そのものをないがしろにするような真似をしてしまうことが自分でも本当に悔しくて、もどかしくて、そして心底腹立たしいです。






でも、どうしてもこうするしかないんです。わたしには、好きでいるのをやめることしかできないんです。





どうしても、どうしてもまだ、彼女を好きでいたいから。












天気雨の朝、傘を目深にかざす。


弱い雨が葉を打ち、陽が鮮やかな彩りを誘う。



ああ、そうだ。歯ブラシ買って帰らなきゃ。