Vol.4 すべてがFになる
どうもどうも。御機嫌麗しゅう。
突然にはなりますが。
わたしってなんの価値があるんでしょう。
…いや、違うの、あの、そういうことじゃないのよ、失恋して疲れたとか就活に疲れたとかそういうんじゃないのよ、これはほんとごめんなさい、わたしの悪ふざけです、失礼しました。
シンプルに思うわけです。
例えば、皆さんがこのブログを読んでいるところを脇から友だちに覗かれたとします。
「何読んでんの?」「ブログ」「え、誰の?」と言ったあと。皆さんならなんて返すんでしょうか。
「なんかTwitterのヤバい人」「面白いけどひねくれてる人」「優しい変な人」。
まあ大体この辺でしょうか。唐突な自己分析で恐縮ですけど。
Twitter、現実両方でいろんな人と関わってきて、最近のわたしが言われる褒め言葉って基本的に「優しい」か「面白い」なんです。嬉しいね。ありがとうございます。
まあそりゃね、好きな人が彼氏持ちになってもあーだこーだ言って尽くしてる訳ですからね、コレを無理やり褒めてあげるなら「優しい」か「面白い(笑)」に終着することは至極真っ当とも言えます。
ここなんですよ。優しいことや面白いことに価値があるのかという話。
大体の親は子を「優しい」と言って育てますし、面白いってそりゃね、わたしのことが好きで関わってくださってる方々からしたらそりゃわたしは「面白い」でしょう。それが見たくてお話してくださってるんでしょうし。今後とも精進していきたい次第。
つまり、この2つは客観性が皆無なんですよ。根拠が乏しいと言った方が正確でしょうか。あくまで一面的に見た上で判断する他ない訳です。
しかしながら、ある程度客観性を持つ情報もこの世にはあります。
例えば頭脳。全国模試で1位をとった子は頭が良いですよね、だって全国規模で1位なんだから。偏差値というものもあります。それを見たら一目瞭然です。
模試の規模によっては判断できないだろとか言い出す屁理屈おじさんは黙ってください。そんなんじゃ三重の男に女とられますよ。
とにかく、客観性を孕むものは主に数字で表されています。つまり、数が価値を表す訳です。
皆さんの使ってる時計に「これの価値は?」と言い出すやべえおじさんが現れたら、大体の人は時計の値段を言う訳ですよ。それが価値として1番客観的だから。万が一「ママに買ってもらった財布で想い出がすごい詰まってるから…ひゃくまんえん!」とか言い出す18歳以上がいたら謝りますが。
対して、優しさや面白さというものはほとんどの場合で数値化がされません。お笑いコンテストなんかもネタの完成度やその場の雰囲気を評価してるといった印象の方が強い。つまり、面白いネタが作れるということはその人が面白いということとは必ずしもイコールではない。華々しくショーレースで結果を上げた芸人がバラエティだと何も出来ないなんてケース、にゃ○こス○ーなんかで見たことあると思います。
腹立つんですよ。これ。腹立ちません?
自分の長所とされるものが客観性ないんですよ?つまり、主観的なことしか言えないわけですよ。
「わたし優しいんですよ!」「あんなことしてあげたしこんなことしてあげたし…」と。こんな惨めでダサいことないですね。優しさや面白さってやつが数値化される時代はいつなのか。「優しさ検定1級」とかでドヤりてえな。
最近はAIで感情を理解できるなんて話もありますよね。その域まで行くとそういった部分を数値化できるんでしょうか。わたしは学がないので分かりませんが。
そろそろ理屈っぽくて文系の大学生さんにキレられそうですね。まあわたしも文系なんですけど。
優しさだのなんだの言ってますけどね、1番腹立つのは女ですよ。「優しい人が好き!」って。男の90%くらいは抱けそうな女には優しくする生き物って義務教育で習わなかったんですかね。残りの10%近くはトランスジェンダーとかそこらです。つまりよくいる類の男ならみんなそんなもんってことです。ここメモっといた方がいいよ。
話の本筋が見えにくいですかね。
つまり、「優しい」だの「面白い」だのそういう女が求める要素に限って数値化されず、学力だの財力だのばかりに目がいってしまう世の中腹立つなっていうモテないぼっちの愚痴です。
優しいし面白いけど学も金もないために女1人大切にできず三重に逃げられた男の愚痴です。…え?三重ネタしつこい?それくらい想いがあるんだから仕方ないじゃない。許してよ。わたしのブログなんだし。
なんで優しさとかが数値化されないのか考えてたんですよ。恋愛相手の条件にもなるくらいなんだから、少なくともこういう項目の数値化ってある程度需要があるんじゃないかと。
財力とか学力とか、そういったものよりもっと推し量るべきなものがあるんじゃないかと。
これはわたしなりの結論でなんの根拠もないんですが、多分怖いからなんですよね。
どうします?全てが数値化できる世界線で「お前の優しさはゼロだよ(笑)」って言われたら。なんとなく、財力ゼロよりショック受けません?わたしだけかな?
つまり、内面の数値化はおそらくパンドラの箱な訳ですよね。開けたくても開けちゃいけない箱な訳です。自分に何もなくても、逃げ道として使えるように。
「優しいってよく言われます」って逃げられるように。
ひえ〜生きるってしんどいですね。あまりに鬱ブログばっかり書いてて好感度落ちそうな気がしてきました。
でも、同時にこんなことも思いました。
数値化されてるものって、あくまで些細なことに過ぎないのではないか?と。
学力・財力・身長・体重などなど、現代ではあらゆるものが数値化されてます。でも、そういうものって「数値化されていてもなんとかなるから」なんじゃないかと思うんですよね。
多少劣っていても、それは人として本質的なことじゃない。だから数値として差別化しても、それは他でカバーすればいい、そういうことなんじゃないかと。
数字に拘るより、あるべきように生きたらええんちゃうかと。今日はそんなメッセージ性を込めてみました。ブログのアクセス数が思ってたより多いのでちょっと見栄を張ってみました。
人の心の機微が数値化されたらどうしましょうね。人の価値ってやつの代名詞になるんでしょうか。
そうなったら、わたしの価値は一体おいくらになるんでしょうか。
多分、格安でしょうね。このブログが1ミリも面白くないので。
今回のタイトル、「すべてがFになる」についてなんですが、わたしはよく知らないんですけどあの話って16進法の話らしいですね。16進法でいうと最初の位の最大値である15がFになる、ということが由来らしいです。
話は変わりますが、わたしの大学では落単するとFという評価がつきます。
もし、わたしの全てが数値化される世界が来たら最大値がつくのか、落単の証がつくのかは定かではありませんが。
それでは今回はこの辺で。ご自愛ください。
優しさくらいしか取り柄がない子ですが、今後ともよろしくお願いします。